錫(すず)が日本に伝わったのは今から約1300年前。錫は希少性が高く、抗菌作用に優れていることから、古来より酒器や茶器として珍重されてきた。1949年に設立された「大阪錫器」は、先人たちの技術や知識を受け継ぎながら、現代のライフスタイルに呼応した商品づくりに取り組んでいる。
時代を超えて愛されてきた錫器
錫器の歴史は古く、紀元前1500年頃、エジプト王朝の古代都市遺跡から錫の水壺が発見されている。日本には7〜9世紀に遣唐使によって持ち込まれ、奈良県の正倉院には数点の錫製品が保存されている。金・銀に並ぶ貴重品であった錫器は、宮中での器や、有力神社の神酒徳利、榊立などの神仏具として、ごく一部の特権階級のみが使用できた。
その後、一般にも普及して需要が拡大したため、江戸中期には心斎橋・天神橋・天王寺といった流通のいい大阪で生産されるようになり、地域の名産品としての地位を確立。最盛期の昭和前半には、大阪全体で300人を超える職人が技を競ったといわれている。
第二次世界大戦下では、人員不足、原材料不足により、事業の継続が困難になったが、それらの苦難を乗り越えて、1983年に当時の通産大臣(現 経済産業大臣)より伝統的工芸品「大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)」として指定・承認を受けた。
大阪錫器は、大阪浪華錫器を製造する最大手。その技術は、江戸時代後期に京都から大阪に普及した京錫の流れをくむ初代伊兵衛(いへえ)に発し、代々大阪で隆盛を極めた。1949年、今井弥一郎によって「大阪錫器株式会社」が設立され、今日まで職人の技が脈々と受け継がれている。
造形美と機能性が融合した、圧倒的な存在感
全国の錫器シェアの7割を担う大阪浪華錫器。その製造のほとんどを担うのが大阪錫器だ。現在、大阪錫器は「現代の名工」今井達昌氏を代表とし、20名の男女が従事している。うち、達昌氏を含む5名が国認定の伝統工芸士である。
錫は非常に柔らかい金属で、機械加工が難しい。大阪錫器がつくる錫器は、熟練職人の手によって一つひとつ丁寧に昔ながらの製造方法で丹念に仕上げられている。「美しく、そしてそれ以上に実用的である」という同社の信念に基づき、見て飾っておくだけの工芸品にとどまらず、用の美を追求。造形美と機能性を両立した、シンプルで美しいデザインを誇る。
全国の伝統工芸職人が後継者不足に喘ぐなか、大阪錫器では若い職人たちが活躍しているのが特徴だ。先人が築き上げた伝統を守りながらも、タンブラーやビールジョッキ、おしゃれなデザインのぐい呑みなど、新しい技術や商品を開発することにも意欲的に取り組んでいる。
漆の産地とコラボした「錫漆」シリーズ
現在、大阪錫器では、輪島、会津、津軽などの日本を代表する漆器産地とコラボした「錫漆(すずうるし)」シリーズを展開中だ。
錫器の周りに漆塗装を施すことで、錫の「すぐ温まり、すぐ冷える」特性と、漆の「保温性、保冷性に長ける」特性が融合。二つの特徴を合わせることにより、より新しく、美しく、使いやすい器が生み出された。漆は時間が経過するとともに色味が変化していくので、日常使いをしながら、表情の変化を楽しんでみてはいかがだろう。
江戸時代後期に初代伊兵衛(錫伊)が創業した、伝統工芸品「大阪浪華錫器」を製造する最大手。「美しく、そしてそれ以上に実用的である」という信念のもと、造形美と機能美を兼ね備えた錫器の製作に励む。
"大阪錫器"の作品をみる